|庶民の「願い」を政治に|

●「児童手当」を守り育てた子育て支援策の柱に
「乳幼児を抱える家庭は、おむつやミルク代など節約不可能な経費がかかります。政府が子どもの健全な成長の重要性を認識した表れとして評価します」。東京都荒川区のWさんは公明党の強い主張で、0〜2歳児の第1、2子を対象とする児童手当の支給額を月額1万円に倍増する「乳幼児加算」が、平成19年度から実施されたことを知ってこう語る。
今、「児童手当と言えば公明党」との認識が広く定着している。その淵源は40年前にさかのぼる。
昭和42年12月の千葉県市川市議会定例会。「子どもたちの健全な育成のため、早急に実施すべきだ!」。公明党議員の凜たる声が響き渡った。公明党が、自治体独自の制度として児童手当導入の口火を切った瞬間だった。同じ頃、新潟県三条市でも市議会公明党の主張が市当局を動かしつつあった。
翌年4月、国に先駆けて両市は、第4子以降に月額1000円を支給する児童手当を、いち早くスタートさせた。
「公明党は国の制度の実施を主張していますが、ぜひとも実現してほしい。これは全ての母親の念願だと思います」と切実な母の訴え。党本部には連日、こうした喜びの声、庶民の願いが殺到した。
これを機に、児童手当の実現を求める公明党の取り組みが全国に波及。国会では昭和43年、公明党が他党に先駆けて児童手当法案を提出。ついに昭和47年1月、国の制度としての児童手当が実現した。その後も政府は、何度となく児童手当の縮小、廃止を画策した。だが、その度に、公明党は児童手当の存続と拡充を訴え、制度を改善してきた。
●冬柴が自民を説得し、拡充への道開く
一大転機が訪れた。平成11年の2月18日、公明党幹事長だった冬しば鉄三は自民幹事長との会談で「欧州の制度を参考に新児童手当制度を検討する」ことを自民に約束させた。そして同年10月、公明党は連立政権に参画。政権合意書とともに交わされた政治・政策課題合意書に、政権与党の子育て支援策の柱として「児童手当の拡充」が明記された。
公明党の政権参画から8年。児童手当の支給対象は5・4倍の1310万人にも広がった。
「日本の未来に責任を持つ」−−児童手当の拡充に取り組んできた冬しばは少子化打開の柱として、更なる拡充に全力を尽くす。少子化が叫ばれる中、改革の鉄人・冬しばの闘いは、これからが正念場となる。

※冬しばは、経済的に恵まれない人々の法律支援に尽力。平成12年、民事法律扶助制度が施行される。昭和62年7000万円の予算が、現在、250億円(約400倍)となった。


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